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林立する超高層ビル。お洒落なスーツを身にまとい、颯爽とオフィス街をゆく若者。世界の工場、とまで形容されるに至った華東華南の産業集積。あるいは急速に膨張する国力を支えるため、資源を世界中から調達しようと動き始めたそのエネルギー戦略−。
高度成長を続けるアジアの巨龍−中国が、近い将来、日本はおろか、超大国アメリカとも拮抗する経済パワーになるとの予測が、世紀の変わり目ごろ、世界じゅうのシンクタンクから次々に出されたものでした。
一方、中国の将来を、今日世界でもっとも甚だしいとされる貧富の格差や、独裁政党自身が抱える「腐敗問題」、あるいは、工業発展の陰で深刻化する環境破壊などを引き合いに、止め処なく暗く描き出す論者たちがいます。中国は何年後に分裂する、中国経済は何年後に破綻するであろうといったセンセーショナルな題を冠した本が、どこの書店でも見かけられます。
つまるところ、わたしたち日本人の「中国観」が、これまで兎角"光"と"影"、21世紀のスーパーパワーを目指して前進を続ける「光の中国」と、社会の深い闇にあくまでも魅入られてしまったかのような「闇の中国」という極端な二元論のなかで分裂しがちであったのです。
20年ほど前、わたしは日本政府派遣の国費留学生として初めて中国の土を踏み、爾後一貫して中国との深い関わりのなかで生きてきましたが、90年代末から世紀を跨ぎ、2003年末にいたるまで、ほとんどの時間を中国東北部の街、大連で、普通の中国庶民とおなじように過ごしました。ごく普通のアパートに住み、中国語だけを話し、隣近所のお付き合いもしながら、結論としてようやく分かったことは、中国の人びとも、われわれと同じように、光と闇が分かちがたく交錯する猥雑きわまる世俗のなかで、少しでも良い「明日」をめざして奮闘しているだけだ、という、至極当たり前のことでした。
われわれと同じように−。ですから、中国でも「バブル」がはじけ、見せ掛け倒しの虚構が悲惨な崩壊を遂げる可能性もあるでしょう。民から付託されたはずの「権力」が「金銭」とあまりにも容易に直結し、私物化された権力機構がこうした構造を力任せに擁護し続けるのであれば、物言わぬ民も、いつかは真の市民社会の到来を求める声を上げ始めるかもしれません。
アヘン戦争から数えてほぼ150年余。中国は、国家としての独立と、民族の誇りと、市場経済体制という、世界で生きていくうえで最低限の社会体制を、ようやく手に入れました。ただ、問題はこれからです。市民社会という段階にいまだ到達していない中国では、野蛮な金儲け主義がのさばっており、いわゆるニセブランド問題、程度ならまだしも、人びとの生命を脅かす食料品、医薬品といった領域でも、人びとの社会に対する信頼感、安心感を損なうような粗悪品が日々新聞紙上をにぎわせています。「被統治者、被啓蒙者」としての在り方しか知らず、「市民」としての権利や義務には自覚のない大半の消費者が、いまの中国に蔓延する信用崩壊の状況−市場に出回る粗悪劣悪商品、サービスが招来したことは言うまでもありません−をどう変えていけるのか。事態は、行政に解決を求めるだけでは埒があかないほど深刻な状況です。
昨今の日中関係は、両国間の首脳訪問が3年間も途絶えたままとなっているほど或る意味で冷え込んでいますが、こと経済に関しては、双方とも、既に絶対不可欠のパートナーになっています。とくに、中国では日本製品(メイド・イン・ジャパン)に対する絶対的な信頼感というものがあります。日本人の生真面目さ、に対する一種の畏敬があるのです。
万事において謙遜しがちな日本人は、もう中国市場でニッポン・ブランドは通用しない、などというお題目をしばしば好みがちなのですが、それは、ごく一部の業界での話です。一般的には、「日本人をどう思うか」というような話とは別次元で、中国におけるメイド・イン・ジャパン信仰には根強いものがあるのです。自国の人びとが組み立てたものよりは、より生真面目な日本人が組み立てたものを信用するのが、中国の人びとの本音なのです。
たとえば、みなさんが中国の友人や知人に日本からなにかお土産を持っていったとします。それは高価なビデオカメラかもしれないし、あるいは衣料品かもしれない。このときたいていの中国人なら、機材の裏面やタグを注意深く調べることでしょう。そして、「日本製」との表示を発見し、満足そうに頷かれるに違いありません。
たしかに、広大で、経済発展格差が地方毎に巨大な中国には、市場経済の常識、近代社会の良識からみても、厄介なビジネスリスクがまだまだ残っています。ただ、市場の規範化が進んでいないだけに、全てが出来上がってしまった先進国では考えられないような成功を遂げる機会があるのも事実です。
日本企業が「ニッポン・ブランド」たる出自を強く意識し、これを打ち出しつつ、大陸で「新たな商品ブランド(名牌)」を豪快に打ち立てるチャンスが、いまはまだあるのです。かつて1920年代の上海は、冒険家たちの楽園、と呼ばれたものですが、世紀が変わった今、日本企業と日本人には、大陸でふたたび新たなチャンスの地平が開けていると、わたしは感じています。急速に成長を遂げ、変貌を続ける中国ですが、少なくとも向こう5年間は、この歴史的なチャンスが扉を開けていると思っています。CJBridgeを通して、みなさんの夢のお手伝いができ、日中間経済交流の拡大と、相互理解の増進に寄与できれば、これに勝るよろこびはありません。
以 上
薄田 雅人
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