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2004年のクリスマスを、わたしは中朝国境の街、丹東で迎えました。丹東はその昔の日本統治時代は「安東」と呼ばれ、満州経営へと向かう日本の前進基地として機能した街です。無論、多くの日本人居留民が住みついていたわけで、いまも「安東会」という組織のみなさんが、時折昔を懐かしみ、訪ねてこられるそうです。その街並みも、大正時代から満鉄主導で整備されたというだけあって、どこか<日本>を想い起こさせます。満鉄が、最初から、鎮江山(現・錦江山)を背景に南に鴨緑江をたたえる空間を、<京都>を意識して整備したから、にほかなりません。
丹東は、満州経営へと向かう日本にとり<陸の玄関口>でしたが、<海の玄関口>といえば、むろん大連でした。距離的には、ほんの300キロ強しか離れていないこの二つの都市ですが、気候から、人びとの外見まで、じつはかなりの差があります。ひとことで言えば、やや日本的、とさえ形容したくなる丹東の温和な気候に比べ、大連では、より荒々しい海風に吹きさらされることを覚悟せねばなりません。人びとの外見も、山東半島から来た漢民族が中心であることは両者とも間違いないのですが、丹東周辺では、歴史的に、朝鮮族、満州族などが多数住みついてきましたから、混血が進んでおります。肉の食し方、漬け物の味、ご婦人のいでたちに至るまで相当の違いがあります。このあたりからも、大陸国家中国の<多様性>が充分にみてとれるのです。
わたしにとっては、ともに縁の深い二つの都市ですが、改革開放政策が本格化した80年代後半からは、経済建設の面で、じつに大きな差が開いてしまいました。大連が日本の官民と共に、日本向けの輸出加工基地(開発区)を整備、急速に外資誘致を進めたのに対し、丹東は、交通輸送インフラの遅れ、北朝鮮と国境を接するという地政学的なマイナス要因−たとえば、鴨緑江などの観光資源を有効に活用しきれない−などが災いし、いつまでも、<沈滞疲弊した国有企業城下町>というイメージを脱しきれないでおります。所得、物価水準とも、いまでは、あらかた倍の開きがついていると言っても過言ではないでしょう。
冒頭で触れた「クリスマス」の話に戻ります。
いま、中国では、<クリスチャン>が激増中なのです。ある資料によれば、洗礼を受けたキリスト教徒は、現在約9,000万人というのですが、これはあくまで政府公表の数字です。未洗礼者を加え、いわゆる地下教会での信徒を加えればどのくらいの数になるのか、わかりません。中国におけるキリスト教の実態をまともに扱った社会学的研究はまだ無いようですので、すべて推測の域を出ないのですが、大変な勢いで拡大浸透していることだけは間違いないようです。
たとえば、今回わたしが訪ねた「丹東基督教元宝山教会」。元来のレンガ造りの教会堂だけではとても礼拝者を収容できず、一階片側の壁をぶち抜き、大型スクリーンを正面に据えた第二礼拝堂を増設しました。ところが、礼拝者は増える一方で、たちまちこれでも足りなくなる。まもなく、第二礼拝堂の脇に第三礼拝堂まで建て増しすることになったのです。
端的に言って、元宝山教会でのクリスマスは、わたしがこれまでに観たことのある、いかなる教会のクリスマスよりも壮絶な熱気に包まれておりました。まず、その人数。木造の第一礼拝堂の二階の隅に座ったわたしは、それこそ建物が倒壊するのではないかと本気で心配したほどです。一階正面のステージで繰り広げられる中国風の生誕劇(キリスト生誕を祝う寸劇)を一目見ようと、二階の信者たちが一斉に身を乗り出します。そのたびに、心なしか、「歴史的建造物」がギシギシと身を震わせるのです。
もうひとつ、このクリスマス礼拝で強く印象に残ったことは、クリスマスのお祝いで配られるお土産袋−コッペパンとリンゴが入ったビニールの包み−を目当てに来ていると思しき人びとが、じつは大変な数に上っていたということです。わたしの周りに座っていた人びとも、お土産袋が配られるや、にわかに、汐が引くように帰り支度を始めました。くわえて会堂に参集してきた人びとが、じつに多様な階層にわたっていたことが、わたしには新鮮でした。なかには少数民族らしきいでたちで、乳飲み子と6歳の男児を連れた物乞いの老婆もいました。声を掛けてみると、息子の嫁が逃げ出してしまったので、その子供を抱えているのだといいます。ものすごい悪臭。となりに座っていた身なりのよいご婦人は、いまにも泣き出しそうな顔をして、ハンケチで鼻を覆っていました。
礼拝堂から人びとの大波に呑まれるようにして外へ出ると、「丹東市基督教管理委員会」の札を掲げた粗末な事務棟がありました。レンガの横壁には、かつての毛沢東主義を讃えるスローガン(毛主席語録)が黄色いペンキで書かれておりました。わたしが見入っていると、初老の紳士が傍らにきて、「これこそ歴史だね」と言って、群集のなかに消えていきました。教会の正門を出ると、さきほどの物乞いの老婆が、二人の子供を連れて、ふたたび物乞いの本業に戻っていました。
経済発展の陰で、深刻化する貧富の差。持てる者はますます富み、持たざる者はますます貧す。そして、万事お金のゼニゲバ主義が世を覆うなかで、人びとは、精神の救いをこれまで以上に強く求めています。それが、階層を問わず、人びとを宗教へと引きつけているのです。クリスマスの元宝山教会に集った人びと、物乞いの老婆や、足なえの乞食は十中八九「信仰」ではなく、「パン」欲しさに礼拝堂へと向かったのだろうと思います。けれど、そのなかにこそ、わたしは元来の宗教−ここではキリスト教−のパワーがあるのだと思う。
すさまじい勢いで増勢をつづける中国のキリスト教会が、将来、中国社会にいかなる影響を及ぼすのか。果たして、<精神の救い>のみならず、たとえば、社会体制に対する一定の意見表明をおこなうまでにいたるかどうか。それはまだわかりません。ただわたしは、中国におけるキリスト教の動向を見守ることが、中国の近い将来の社会状況を考える際の、きわめて重要な方法論のひとつであることを信じて疑いません。
以 上
薄田 雅人
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