たまたま新聞を読んでいましたら、今月中旬に開幕した恒例の「東京国際映画祭」の特別イベントとして、「中国映画生誕100年記念−日中友好映画の夕べ」という催しが経団連会館で開催されたという記事をみつけました。
今回の映画祭では、当代中国を代表する人気監督である張芸謀(チャン・イーモウ)さんの『単騎、千里を走る(原題:千里走単騎)』が上映されたそうです。上映に先がけて奥田碩・経団連会長、チャン監督、王毅・駐日中国大使が挨拶。奥田会長が、「このイベントを通じて日中の文化交流、映像交流が進むことを望みます」と述べたとありました。
チャン監督はさらに、映画祭のオープニングで高倉健さんと共にレッドカーペットを歩いたことについて、「自分の『神様』である高倉健さんと一緒に歩くなんて、夢のような感覚」と感想を述べたといいます。もちろんわたしも、一人の日本人として、チャン監督が高倉健さんをこうまで讃えてくれたことを大変うれしく思います。けれども、実は名状しがたい残念さをも同時に感じたのでした。
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ここですこし、話が飛びます。
わたしたちCJBridgeは、いま日中間の文化交流、観光交流を組織的にすすめる取り組みを進めています。中国経済の高度化、規模の拡大にともない、海外旅行をする中国人が増えています。これまでは、日本人が中国観光をするのがごく一般的で、中国からのお客様といえば、ほとんどがいわゆる業務渡航か親族訪問、あるいは留学や就業でした。ところが、都市部のニューリッチと呼ばれる層が本格的に出てきて、いまや「中国人観光客」の方に世界の観光産業が熱い目を向け始めている。CJBridgeは、そのコーディネートを組織的に進めています。
そういう仕事の関係もあって、先日わたしは長年住み慣れた大連を訪ねてきました。大連市人民政府のみなさんが車をチャーターして下さり、リゾートとして開発中の「金石灘」に案内していただいたのです。金石灘は、美しい海岸線とおいしい空気に恵まれた絶好の観光立地でした。地元の食通を唸らせる海鮮レストランも素晴らしかった。開発そのものはまだまだこれからだし、どう洗練された味付けにしていくかで、国際的に通用するものになるかどうかが決まると思いますが、インフラそのものは申し分のないものでした。
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その金石灘に、蝋人形館があったのです。世界の名士を一堂に集めた、と大見得を切っています。政府のみなさんに先導されるまま、入ってみました。果たして、レベルとしてはそれほど良くできた蝋人形とも思えない。すれっからしの中年男の悲しさか。ちょっとやそっとじゃもう感動なんてしませんよなどと嘯きつつ、広い館内を、連れられるままブラブラと歩いてまいりました。
蝋人形館でお目にかかった「名士」は、多士済々でありましたが、地元の名士のほかには、なぜか圧倒的に「米国名士」が多かったように思いました。クリントン大統領、マイケル・ジョーダン氏、マリリン・モンロー嬢、アインシュタイン博士と、この辺はまず<定番>の趣、と言うべきでしょうか。
ところが、気づいてみると、「日本名士」が全く登場してこないのです。展示の中ほどに、ヒトラー、スターリン、チャーチルといった宰相、独裁者の類が欧州地図を描いたビリヤード台で“国盗りゲーム”に興じる場面がありました。すわ、遂にここでわが国代表登場か!と思いきや、またまた空振り。さてもいっこうに誰も登場してこないのです。結局、広い蝋人形館の出口のあたりで、唯一の「日本同胞」と出会うことができました。それが、灰色のステンカラーコートを羽織った我が「健さん」であったのです。
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“国盗りゲーム”の場に「日本同胞」が出てこなかったのは、中国全土でもっとも親日的と言われる大連ならではの“配慮”であったのかもしれませんが、一千数百年に及ぶ交流、現代における強固な経済貿易関係を思うとき、たかが蝋人形館とはいえ、隣国のこうした展示にまったく日本人が登場しないということに、わたしは非常な違和感を覚えました。しかし翻って、我が国で同種の蝋人形館があったとして、日本で知られている中国人では誰が出るだろうかというと、結構こちらも負けずにお寒い限りかもしれないと思いました。
おそらくは日本の蝋人形館でも、世界の名士、といえば、米国名士がゾロゾロと並ぶことでしょう。それは、改めていうまでもなく、日本も中国も、米国の文化的影響力のなかで<アメリカ漬け>にされているからです。
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日本も中国も、世界の中で立派に屹立する文化伝統をもつ大国です。けれども、その実、圧倒的な西欧優勢のなかで形成されてきた近現代史にあって、ともに西欧文化の呪縛から逃れられずに<西欧>を憧憬しつつ、日中相ともに互いの文化伝統を固守することなく、現代においてはとくに、一方的な西欧発の情報コンテンツの摂取に励んできたフシがあるのです。
その結果、双方ともに、<擬似西欧>を目指すわけですから、お互いの間の<文化交流>は、非日常的な伝統芸能などの公演交流程度で済ませ、真の、日常的なポップカルチャーの交換までにはなかなか至らなかった。何故かというと、若者たちがほんとうに「憧れた」のは飽くまで西欧、そしてその代表としての<アメリカ>の the way of life であり、その日常風景であったからです。日中双方とも、お互いを進歩の途上にあるもの、としか看做していないわけですから、本気でお互いのポップカルチャーを交換したい、とは思わなかったわけです。
わたしには、一種強烈な原体験があります。どこか他で書いたことがあるかと思うのですが、ちょっと紹介させてください。
それは1983年の夏、上海での出来事でした。わたしは中国語を学び始めたばかりで、独り南京東路の和平飯店に居りました。学生に毛の生えた分際で和平飯店とは生意気ですが、当時はドミトリー階があって、訳の分からない外国人旅行客などを押し込めておく団体客用の部屋もあったのです。それは三階だか四階だかにあって、階段を上ると、右に一部屋、左に一部屋と、ベッド8台の押し込めルームがありました。
面白いことに、その片一方は日本を除くアジア・アフリカ人、もう片一方は白人と日本人というふうに分けられていました。わたしは当時22歳の若者でしたが、おぼろげに、アパルトヘイトみたいだな、と思った。南アで人種隔離政策華やかなりし頃、日本人は「名誉白人」という有難い地位を頂いていたからです。
ところが、実は、わたし以外「名誉白人」はいない筈の“アッパークラスの部屋”にもうひとりアジア人が紛れ込んでいたのです。かれは香港人で、おそらくは“純粋なアッパークラス”である白人旅行者の友人であったのでしょう。コチコチに固まっていたわたしをさて置き、かれは8人部屋でよろしく盛り上がっておりました。
事件が起こったのは、その晩かなり遅く、もう夜中といってもよい時刻でした。ホテルの見回りが懐中電灯を片手に部屋に入ってきたのです。一人一人の顔を照らし、不心得者がいないかどうかをチェックしていったのです。ドミトリーとはいえ、高級ホテルで見回り?−でも、それが1983年の上海でした。
ひとり、ひとりと、いたずらっぽい白人の若者たちが照らされていきます。そして、笑いを堪えられなくなった彼らは、腹をよじるようにしていました。その様子におかしさを感じた見回りが、ついに香港人が隠れていたベッドの白いシーツを引き剥がしたとき、白人たちは笑いを爆発させたのでした。見回りは血相を変えて、こいつ、ここはお前のいるところじゃないぞと喚きながら、かしこまっている香港人の首根っこを捕まえて、部屋を出て行きました。香港人のいなくなった部屋では、白人たちの爆笑が長いこと続いておりました。
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鏡の中の日中−。
わたしはそのころから、日本と中国、中国と日本の間にある捻じれ、特に、西欧という鏡に自らを照射させながら、アジア人同士でお互いをさげすみ、相手を深く知ろうとしないアジアの二大国の関係性を非常に悲しむべきものと感じるようになったのでした。お互いに西欧からの呪縛を逃れられず、お互いの間で情報交換がきわめて希薄なのです。いまでこそ、中国の経済成長、国際世界での地位向上にともない、韓流のあとは華流か、などとコマーシャリズム先行の掛け声が聞こえてきますが、わたしはそうした事どもは、およそ表層的なものだと考えています。
ひとつの国家や、民族に<イメージ>というものがあるとすれば、それがそれらの国家の<ステレオタイプ>として、やがて国際社会で大きな意味を持ってくることは間違いありません。であるとすれば、そうした<イメージ>が形成される過程で、もっとも影響力を持つものは何でしょうか?
人の交流が基本であることは間違いないと思いますが、アメリカの磁場、アメリカの文化がなぜ今日のような世界的影響力を放つようになったかといえば、それは圧倒的な軍事力、経済力に裏打ちされていることを前提としつつも、ハリウッド映画に代表される<映像>の力、を無視するわけにはいかないだろうと思います。
敗戦後、打ちひしがれていた日本人は、ハリウッド映画を通して垣間見たアメリカ的生活の豊かさに大変なショックを受けたと言われています。ショックはまもなく強烈な憧れへと変わり、<アメリカ人のように振る舞い、アメリカ人のように話すこと>をめざす膨大な数の若者を生んだのです。それがいったい、なにを意味するのか。
<映像>を通して、アメリカ人の、アメリカ社会の喜怒哀楽が、あたかも生きた人間が其処にいるかのように、世界に向けて放出される。当然そのなかには、アメリカ的価値を世界に向けて伝え続ける密やかな仕掛けが隠されています。その威力たるや、実に凄まじいものであると、わたしは考えています。
米国には、米国の文化戦略がある。中国などは、あきらかに国家指導者層や知識人の一部で、それへの深い警戒感を滲ませています。けれども、彼らとて、インターネットが主要メディアに取って代わろうかという知識経済時代に、情報鎖国をするわけにはいかない。まして、<エンターテイメント>というもの、ポップカルチャーというものは、どうにも防ぎようがない。要は、面白ければ、誰でも観る、からであります。
日本と中国の間でも、もっともっと、<エンターテイメント>を軸とした<映像>の交流が進まないといけないと、わたしは思っています。
交流が、生活一般レベルまで進み−理想的には、中国人が“吉本”をみて笑い、日本人も趙本山一座の喜劇に目を細めるくらいの段階まで−、お互いの間に、為政者層の恣意的なアジテーションくらいでは揺らがぬ一種の<安心感>が生まれることが望ましいのです。
すくなくとも、日本は、真に自覚的に、戦略的に、<自ら>を相手に伝える強烈な戦略、文化戦略をこれからは国家規模で展開していかねばなりません。
隣邦である中国や韓国に対してはもとより、マルチランゲージ(多言語)で、<映像>という大いなる力を用いつつ、インターネット時代に合った方法で<自ら>を伝える手立てを考案し、日本人の喜怒哀楽を伝えていくべきです。
いつまでも、健さんの孤軍奮闘、では、土台困るのであります。
以 上
薄田 雅人 |