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連載コラム(第六回/薄田雅人)

北京に住むわが畏友から、郎咸平教授が書かれた最近の論文を送っていただきました。郎教授といえば、いまをときめく香港中文大学の名物教授です。がんらいは経済学者ですが、アメリカの名門大学数校で教壇に立った後、世界銀行顧問などを経て、今は香港中文大学財務学部におられます。中国の名だたる大手企業について、その財務体質上の問題を鋭く指摘、歯に衣をきせぬ物言いをすることから、「郎監管」(郎監督官)という綽名まで頂戴している方です。

その「郎監管」がお書きになった<人喫人的中国亟待和諧化(人が人を食う中国は調和のとれた社会の到来を待ち望む)>という文章を拝見しました。郎先生はまずこう切り出しています。「中国の国有企業改革では毒虫どもが蠢き、教育改革は貧乏人に負担を負わせる、医療改革も基本的に失敗、三農問題は目を覆うばかりの有様で、弱者は司法に訴えても不公正に扱われるだけ。中国はいま、最も原始的な[人が人を食う資本主義の初期段階]にあり、国内に調和のとれた状態をつくり出すことが喫緊の課題である。政府の腐敗汚職と低効率性を改め、厳格な法治を実施しなければならない」−。

郎先生はそのうえで、2004年11月3日に前中国共産党中央党校副校長の鄭必堅氏が提起した<国際和平化、国内和諧化、両岸和解化>の「三和理論」が、今後中国共産党の執政理念となることの必然性、とりわけ<国内和諧化(国内に調和のとれた社会をつくりだす)>の重要性を説いていきます。郎先生によれば、世界が瞠目してきた近年の高度経済成長でさえ、省級統計の四割、県級統計の八割が水増し数字であるし、しかも毎年二千億ドルという巨額のマネーが海外に流出している。加えて中国はがんらい資源に乏しい国であるにもかかわらず、エネルギーの浪費が日本の九倍、欧州の五倍にも達しているといいます。

さらに郎先生は、こうした経済実態の悪化よりも一層深刻な問題が、いわゆる腐敗問題であると断言します。たとえば郎先生は、国有企業改革の過程で、行政機関と通じた経営者による国有資産の商品化、あるいはその過程で無慈悲に実施された工人(従業員)のレイオフなどを、「産権改革」の名を借りた暴挙にほかならないとしています。

郎先生の厳しい批判は、さらに教育改革、医療改革、不動産の強制収用などへ向かいます。大学における「乱収費」、医療機関のカネ漬け体質、地方都市や農村部での「開発区」強制建設などを、腐敗した行政権力と地下マフィアの結託がもたらした末世的状況として批判しています。郎先生の表現をそのまま借りれば、こうした状況は、「中華五千年の歴史の中でも稀に見る」悲惨さであるということになります。

それでは、このような状況に至った原因は一体どこにあるのか、ということになります。
郎先生は、三つの原因を上げておられます。すなわち、第一は、現代中国人が「五千年来、<鬼神>を全く敬わない唯一の世代」であること。第二は、がんらい<礼教>の擁護者、推進者であった地主階級を革命で一掃してしまった結果、およそ<礼教>など知らぬ庶民ばかりの社会になってしまったこと。第三は、まったく<法治>のない社会であることだと言うのです。郎先生の舌鋒は誠に手厳しく、地方地方で腐敗役人や悪覇がやりたい放題をしている状況は、新中国になっても全く変わっていないと言い切ります。

わたしは、在米期間が長く、どこからみても、正真正銘の知識エリートである郎教授が、ここまで繊細に庶民の日常的な喘ぎを聞き分け、勇気ある批判をしていることに感銘を覚えました。同時に、これは手前味噌になってしまいますが、現代中国−そして現代日本−の精神的堕落を、<宗教性>−郎先生はこれを<鬼神>と表現されています−をまったく捨て去った社会の陥る必然とみる立場、いまひとつは、中国における<エリート階級(選良)>−郎先生はこれを<地主階級>で代表させています−の喪失が、結果として、ノブレス・オブリジェなど一顧だにしない、愚民社会を現出させてしまったとみる立場を共有することで、わたし自身の見方との、驚くべき共通性を確認したのでした。

郎先生は、この短い論文の結びに、こうした社会状況を変えていくには、中央政府が執政能力を強化し、厳格な刑罰、峻厳な法律で<民本>の原則に立ちつつ、各級政府の腐敗と低効率の改善を図ることが重要であるという一文を置かれています。この点についても、わたしは全く同感であります。先般、東京で開かれた第三回日中産学官交流フォーラムで、目下策定中の「第11次五カ年計画」の内容と意義、課題に関する日中双方の意見交換会が行われたのですが、その際にわたしが感じた名状しがたいフラストレーションとは、まさに、<国内和諧化>を掲げる大方針は尤もなことだが、それを、どのように、腐敗の連鎖が染み付いた各級政府で徹底できるのか、ということでした。日本側出席者はともかく、中国側出席者からもこの問題がまったく提起されなかったところに、わたしは一定の限界を見出さざるを得なかったのです。

中国は、率直に言えば、未だに近代市民社会の段階を経ていません。日中戦争が始まる前、数多くの我が陸軍「支那通」−戸部良一教授の高著「日本陸軍と中国」(講談社、1999)を参照してください−が、帝国主義と軍閥跋扈の巣となった中国で、「新国家建設」へのロマンティズムを抱いたわけですが、結果として、彼らは「中国の現実」に「幻滅」し、大陸で生起しつつあった地下水脈のような歴史動向を正しく捉えることができませんでした。その結果、我が国は、分断分裂するはずの、近代国家などつくれぬはずの「支那」に深入りし、国共合作なった大国との果てしない戦争に突入してしまいました。それが、我が国の「国益」を救いがたく損なったことは、すでに歴史が教えているとおりです。

したがってわたしたちは、苛烈な歴史の洗礼を受けた現代の「中国通」としては、金輪際、安易な「中国分裂論」の如きものには与しないようにすべきでしょう。ただ、そうした心構えをした上で、やはり郎先生の結論−中央政府の統制力、強制力で、各級政府の腐敗をただすこと−を、一党独裁の現体制下で達成することには、裸でエベレストに登るほどの困難が待ち構えていると思わざるを得ません。その理由については、そして、ここから先の方策については、また次の機会に申し述べたいと思います。

   
薄田 雅人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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